晒しな日記

いろいろやっては失敗した。借金もできた。覚悟が足りなかった。家族を守るために本気でやり直し。あり方を変えるために恥を晒します。

当たり前の日常

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昨日は2020年初めてのイベントを無事に

終えることができました。

 

たくさんの人の支えの中、短い準備期間

でしたがなんとか成功することができま

した。

 

1月17日をもって阪神淡路大震災から25年。

震災でたくさんの知人・友人を失いました。

関西で生まれた僕にとってこの災害は特別

で、なかなか簡単に整理できるものでは

ありませんでした。

 

今回のイベントを通じ、これまで以上に

人の可能性を感じることができました。

また、当日たくさんの人の温もりに触れ

素直に生きていてよかったって感じました。

 

死んだら何も残りません。

 

稼ぐとか楽しむとか起業するとか副業とか。

これらすべて命あってこそのことです。

そのことを昨日のイベントで本当にしみじみ

と感じました。

 

死んでしまったらもう何もできないのです。

 

大好きな人と一緒に笑うことも新しい夢に

挑戦することも挫折して悔しい思いをする

ことさえも叶わないのです。

 

エゴかもしれません。キレイゴトと言われて

しまうかもしれない。ですがこれまで自分

の中で震災に対する様々な思いを整理する

ことができていませんでした。

 

それくらい小学6年生の僕にとっては本当に

衝撃的な出来事だったのです。

 

トイレにひとりきり

 

僕は日頃から一度寝ると朝まで起きません。

寝返りをうつこともあまりなく、ほぼ同じ

状態で寝ているらしい。

 

死んだように眠る。

 

周りからはよくこんなことを言われます。

 

そんな僕がめずらしく夜中にトイレに行く

ために起きました。まるで何かの前兆かの

ように。そして僕は自宅のトイレの中で

震災を経験します。

 

尋常じゃない揺れが起こり、上棚から

トイレットペーパーが僕の頭に降り注ぎ

ました。何がなんだかわからなさすぎて

僕はトイレの中からしばらく動くことが

できませんでした。

 

父親が僕を引きずり出してくれました。

当時のことはこのあたりの瞬間の記憶が

途切れ途切れであまりよく覚えていません。

 

それほど少年時代の僕にとってはショック

な出来事だったのでしょう。頭で理解

できていなくても体がそれを覚えています。

 

数日後、僕の通っていた小学校に数名の

転校生がやってきます。

 

家を焼かれた人、家族を失った人など

様々な理由で神戸の街に住めなくなった

人たちが実家のある和歌山に避難して

きました。

 

高速道路が落ちたとか隣の家同士が

もたれあって屋根だけで支え合って

いるとか耳を疑うような想像を絶する

ことをたくさん教えてもらいました。

 

でもその話を聞いているうちに

トイレの中で感じた恐怖について

言い出せない自分がいました。

 

どこか遠慮してしまっていたんです。

 

可哀想だと感じることが

まるで悪であるかのように

捉えていた僕がいました。

 

空間

 

大人になった今ならあの頃の後悔を

少しは言葉にできるのかなと思いつつ

言語化することで私情を挟んでしまう

かもしれないことにとまどいを感じて

しまいます。

 

あの時感じた複雑な思い。

どちらも正解で双方まぎれもなく

僕自身です。

 

正義感を振りかざすつもりもなければ

比べるつもりもありません。

 

小学生の僕はただそこにいて、感情を

シェアするだけでよかったような気が

しています。

 

話を聞いてあげるだけでよかったのかも。

 

良し悪しを考えている時点で主観でしか

ない。その事にあのときの僕は当然

気がつくことなんてできませんでした。

 

教育によって均一化の概念を刷り込まれた

僕はマイノリティやアイデンティティ

受け入れる準備ができなかった。

 

そもそも言葉で表現しようと考えていた

ことが違っていたのかもしれません。

 

リアルに流れるその空間の空気や世界観を

ただシェアすることに意味があると知った

のはもう少し大人になってからのことでした。

 

まぁ小学生なんてそんなもんです。

 

日本

 

普通とか常識といった大衆の概念に対し

特に何も違和感を感じずに生活していた

あの頃。

 

ここには「日本は」や「日本人は」などと

いった暗黙の主語が常に価値観を支配して

いている気がしてなりません。

 

その時点で日本という固定概念に縛られ

その歯車の一端を担うよう都合よく

プログラミングされている気がしています。

 

さらにそれに違和感を覚えることを悪で

あるかのように学校教育によって僕たちは

長い月日をかけて洗脳されてしまって

いるのではないでしょうか。

 

あなたや周りの小さな世界ではおかしなこと

でも世界に目を向ければそちらのほうが

正しかったり、日本という言葉に縛られる

ことによって息苦しさを感じている人が

増えている傾向にあるように感じています。

 

そうであるならば、戦後作られた

このシステム自体が現代に見合わず

破綻している状態にあるのでしょう。

 

これに気がついているにも関わらず

現状の楽さに甘えて改善しようと

しないことが問題です。

 

僕たちが今後幸せに生きていくためには

一度こういった価値観を脱ぎ捨て、大幅に

アップデートする必要があるのでしょう。

 

副業解禁、年功序列制度の廃止などは

そのほんの一部にすぎません。

 

当たり前の日常。

その当たり前を疑うことがはじめの一歩

なのかもしれませんね。