東京に来た理由
2019年9月。僕は東京に来た。
家族と離れ、自分を磨くために東京に出た。
地元でも借金を返済しながらどうにか暮らして行くことはできたのかもしれない。しかし、気のしれた仲間や家族に甘えているうちは僕の根源は変わらないと感じた。一時を凌げたとしてもまた同じことを繰り返すであろう。
なぜかそれだけは確信できた。
人は環境に左右される
以前の日記にも書いたように、人は環境によって大きく変化する生き物である。言い換えれば、人間は変化に最も順応する動物である。
だから、地球を支配した。順応出来なかった動物は絶滅していった。もしくは、人間にとって都合良く変化させた環境に順応できずに滅んだ。これは人間の長い歴史をもってしても明らかである。
インターネットを活用したスモールビジネスを展開する人たちが『成功したいなら環境を変えろ』といったことをよく話す。だが、これは何千年も前から人間に備わった本能であり、本質だ。改めてそう感じた僕は自分の甘えと迷いを断ち切るために東京に来た。
孤独との闘い
はじめの数週間は本当に孤独だった。
オンラインで知り合ったコミュニティのメンバーとは連絡を取ることができたが、彼らに頼っていては元の木阿弥だと考えた。
なので勇気を振り絞って『手放した』。
環境を劇的に変化させたいとき、最も大切なのは今あるモノ・コトを捨てることだ。どこか断捨離に似ているところがある。捨てることによって出来たスペースに新しいものを投じる。そうすることでしか人は大きく変われない。
そこで新たな環境を求めるべくTwitterに力を入れ直すことにした。
新しい仲間との出逢い
世の中、縁というものは本当に存在する。ありがたいことにたくさんの方と知り合うことができた。そして、これまで疑問をいだき続けてきたこと、不安に感じていたことをシェアできる貴重な存在に出会うことが出来た。
自分が望んだことで今の結果を得られたという見方もあるだろう。しかし、それだけではここまで成長することはできなかったように思う。
やり過ごせばいいところを叱咤激励し合える仲間の存在。みんなはいつもありがとうと言ってくれるが、支えられているのはむしろ僕のほうである。彼らには本当に感謝しかない。
恥ずかしさが滲み出てなかなか面と向かって素直に言えないので、この日記に記すことにした。たまたまでもいいので見つけてくれると嬉しいと思っている。
これからのこと
出逢いはたくさんある。求めればそれだけお互い歩み寄るように、不思議な力で引き合うようにこの世は作られている。ただ、数あるたくさんの出逢い、機会に気づくかどうかは自分次第。常にアンテナを張り巡らし、僕のもてるもので相手が得をすることができるようこの先もしっかりと自分を磨き続けたいと思っている。