会社、辞めました。
2年前、僕は会社(学校)を辞めた。
自主退社という名目で。
もしかすると、必死になって食らいつけば原因となった火種を鎮火することはできたかもしれない。だけどそれをしなかった。
この件が終わっても、もしまた何かあれば
学校は僕のことを守るつもりはないんだ。
そう感じてしまったからだ。
僕には妻と子供が3人いる。
彼らのことを守らなければならない。
この先何十年の人生を天秤にかけたとき、
僕は会社を辞める決意を固めた。
親友からの誘い
ちょうど同じ頃、地元の親友が下請会社を立ち上げた。うっすらと話には聞いていたが、それには直接関与していなかったら。そして、僕は身勝手にも自分の鬱憤を晴らすためにその友人を食事に誘った。
たわいのない話やくだらない昔話をしながら時間があっという間に過ぎていく。そんな時、友人が突然話を切り出した。
『俺の会社手伝ってくれやんか?』
ありがたいことに僕は他にも塾や生保会社などからオファーをいただいていた。友人からそんな話をくれるなんて思ってもいなかった。これは運命かもしれないと思った。だから僕はこの話をその場で承諾した。
友人は僕のために泣いてくれた。ありがとうと何度も何度も言ってくれた。正直、面子集められなかったらどうしようかと不安だった。そんな本音を吐き出してくれた。
久しぶりに胸の中が熱くなった。こんなにも自分のことを信用してくれていたのか。30半ばを迎えた中年のオッサンが2人で泣いた。職種は製造業の補修班、けどその時は不思議と不安も迷いもなかった。
迫りくる現実
実際、中に入って働いてみて感じたことを書いてみる。
- 辛抱弱い
- すぐに弱音を晒す
- 他人の文句を言い、自己を正当化する
- 気に入らないことがあれば声を荒げる
- 面倒なことからはすぐに逃げる
職人業が悪いわけでは決してない。世の中に必要不可欠な仕事だと思う。だけど職人としての腕とその人の人間性は全く関係ない。周りの大人たちを見て『教育が全くなされていない』そう感じざるを得なかった。
勘違いしないで欲しいのは、決してこの人たちを非難したいわけではない。みんなすでに立派な大人たちなのだ。業種的に年齢層が高いせいか、休憩時間や終業後など僕はまるで子供のように可愛がってもらった。また教師ということで畑違いでたくさんイジられた。それでも楽しかった。
人として付き合うのならば。
仕事となれば話は別だった。定年まで残り30年余り、その未来を僕は想像できずにいた。
無意識の自分
今だから冷静に言えることがある。僕はきっと職人さんたちを無意識で上から見ていた。高卒当たり前、人によっては中学もまともに出ていない。学歴社会を嫌っていたはずの自身が学歴で自分と彼らを比べていたのかもしれない。
何十年もその業界に携わる彼らに比べ、尻尾を巻いて逃げてきたのは僕のほうだった。そんな自分を棚に上げ、僕はその人たちのせいにしていたのだろう。自分は悪くない、そう言い聞かせようとしていたのは僕のほうだった。
鬱寸前の闘い
知らぬ間に僕は気力を失っていた。毎日仕事に行くのが嫌になった。案の定、職場では難波に対する不平不満が日々飛び交う。それを聞くのがたまらなく苦痛だった。
どうして良い部分を見ようとしないんだろう。なぜ強力できないのか。非力な僕はその解決の糸口が見出せずにいた。賛同して欲しいわけではないが、毎日必死にもがいた、苦しんだ、どうにかしたいと思った。
張り詰めていた緊張の糸が突然切れた。
僕は年下の後輩を叱咤していたのだ。
自分が最も嫌だと感じていたことなのに。
他人にも同じことをしてしまっていた。
5月の3週目。僕は仕事に行かなくなった。
続く。