晒しな日記

いろいろやっては失敗した。借金もできた。覚悟が足りなかった。家族を守るために本気でやり直し。あり方を変えるために恥を晒します。

僕の人生、第2STAGE

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突然ですが本日はこの先の人生を

大きくわける決断をしようと思います。

 

僕は『最強のNo.2』を目指します!!

 

僕にはこれまで気の合う友人はいましたが

同志や仲間といった近い価値観の知人は

少なかったです。

 

ここでほんの少しだけ僕のこれまでの

ストーリーを知って下さい。

 

子供の頃、年末年始は決まって父親の実家に

親族が集まり新年を迎えていました。

 

たわいもない大人たちの話をどことなく

冷めた目で遠くから眺めている自分が

いることに気がついていました。

 

『なんてくだらない大人たちなんだろう』

 

なのであまりうまくコミュニケーションが

とれていないことが自分でも理解できて

いました。

 

僕の前では『ゆうすけくんは賢いから』と

持て囃す裏側で『ホントに可愛げのない子供

だよね』と陰口を言われているのも知って

いました。

 

ただ、その中でも従姉妹で10歳くらい年上の

お姉さんは僕の内面に気づき、大学での話や

当時の最新の話題など僕が興味を持ちそうな

話題を見つけては、それを僕に話してくれて

いたことを覚えています。

 

こんな大人になりたいな、子供ながらに

ずっと憧れていました。

 

中学に入ると、定期テストの度に父親と

賭けをしました。

『〇〇点以上だったら△△買ってやるぞ』

これが父との約束でした。

 

僕は夢中で勉強します。そうすると周りから

『意識高い系』とか『かしこ』とかって

バカにされるようになりました。

 

公立の地元中学に進学したので、

いろんな同級生がいます。

 

何がいけないんだろう?

 

気がつくと、中2のときに些細な

言い合いがきっかけで僕はイジメを

受けるようになりました。

 

数ヶ月ほど不登校も経験しました。

その時、当時の担任の無力さに失望した

ことを覚えています。

(別に恨んではいないです)

 

野球部に所属していた僕は中3時に監督が

担任となり、不登校が強制終了しました。

 

そして、近い価値観を持ったやつらのいる

場所へいけとアドバイスを受け、県下一の

公立進学校に進みます。

 

高校には本当にいろんな奴がいました。

学校の勉強といった物差しでは測り切れ

ないようなブッ飛んだ感性の持ち主が

たくさんいました。

 

野球漬けの毎日でしたが、文武両道の

名のもとでそれなりの3年間を過ごし

ました。

 

まだ人生の目的が定かでない僕は

いろんな教師の世話になった影響を受け

教育大へ進学することにします。

 

そこでまた違和感を覚えます。

 

教育大学生というのは、いわば教師に憧れ

教師を目指す人で溢れた集団です。

ゆえに領域を横にズラせばほとんどの人が

ど素人、無関心の集まりでした。

 

学生の数少ない経験値だけでここまで自身の

今後を決めてしまえるものなのか。他にも

たくさん素敵な世界はあるけれど、そこには

目も向けようとはしないのか。

 

そんな疑問で彼らとはあまりうまく

馴染めませんでした。

 

ですが、面白いもので同じ思いの人たちが

この中にはいるんですね。僕は彼らと4年間

という時間をほぼほぼ共有しますww

 

学校からは落ちこぼれ扱いです。

ですがゼミの教授の言葉は印象的で今でも

鮮明に覚えています。

 

『君たちは教育大学生としては落ちこぼれだが、学内で生きていく力は抜群の集団だな』

 

当時はようやくインターネットが

普及しはじめた時代。mixyが世に

出始めた頃です。(懐かしいw)

 

今のように情報が得られることも少なく、

また自分から獲りにいく習慣もなく、

流れるままにとりあえず教師になりました。

 

気がつくと10年以上の時が流れました。

 

生徒たちからたくさんのことを教わり、

様々な価値観が生まれ、僕の心もそれに

合わせてどんどんアップデートされて

いきました。

 

教師も悪くない、そんなことを感じ始めて

いた頃のことです。

 

ほんの些細なことで親からクレームが

入りました。そしてまたたく間に訴える

といった話になりました。

 

必死にやれば沈下できたのかもしれません。

でも、その気は学校にはないというのを

肌で感じることになります。

 

今回の件が収まっても、ここからまだ

教員生活が何十年もある。そうなれば

いつか同じことが起こるかもしれない。

 

おそらくその時も守ってはくれないだろう。

 

そう感じ、やり直すなら今だとばかりに

僕は自主退職せよという学校からの勧告を

受け入れました。

 

様々な業界で教育を変えなければといった

声を聞きます。僕もそうだと感じています。

 

なので独立することを決めました。

 

たまたまこの時、古くからの友人が

独立したことを知りました。

 

何かきっかけになるかもしれない。

あと、愚痴りたい!

 

そんな気持ちで彼と食事に行きました。

そこで『手伝ってくれないか?』と

まさかのオファーをいただきました。

 

彼の本気さと信念を感じ、ついていく決断を

しました。

 

業種は鉄鋼業。右も左もわからないところ

からのスタートでした。

 

元教員?なんで?

そんな声もたくさん聞きました。

ないことないこと言われました。

 

でも年輩者が多い業界(職人)なので

みんな優しかったです。

 

ですが1年、2年と続けるうちに思考を止め

ただ生きていくために労働している自分に

嫌気がさしました。その世界はまるで時間が

止まっているかのよう…すべてを諦めて、

口を開けば『どうせ…』とか『そんなの無理』

とか『諦めたほうが楽やぞ』とか。

 

そうやって自分を正当化し、生活のためだけ

にそこに立っている人がほとんどでした。

 

こういった人たちは隣を芝を羨み、相手を

否定することで自身の存在意義を示そうと

します。

 

僕は心が病気になりました。

医師には『これ以上は精神崩壊する』と

まで言われました。

 

逃げるように僕は会社を去りました。

それでも彼は、僕を『友人として』応援

してくれています。

本当に感謝しています。

 

入社当時から副業で始めたライターや

マーケティングのお仕事、企業の内定者

教育などの事業に副業から取り組みました。

 

これでやっていこう。

その矢先に父の借金返済と自身の生活の

両輪を回すことが難しくなり、ローン返済が

厳しくなりました。

 

体調を崩し、収入を失い、金融期間からは

まるで『人殺し』かのようなバッシングと

毎日鳴り止まない請求のコール…頭がおかしく

なりそうでした。

 

この時、人生を休息する決意をします。

少しでも収入をと思い、毎朝家を出ます。

夜遅くまでパソコンと向き合います。

 

でもそんな精神状態でうまくいくはずもなく

次第にぼーっとする時間が増えました。

 

鬱病

 

3ヶ月間、仕事を休むことになりました。

 

 

こうして東京にやってきました。

 

見てくれはカッコいいかもですが、

もしかすると逃げてきただけかもしれません。

 

でもおかげでたくさんの人たちと出会い

夢や目標、悩みなどをたくさんシェアしあい

ました。

 

同じように起業家たちは独りで苦しんでいる

人が多いことを知りました。

 

なのでそれを支える人になりたいと

強く思うようになりました。

 

あらゆる面で矢面に立つ起業家。

僕はそれを影で支える『フィクサー』に

なりたいです。

 

彼のおかげでこのプロジェクトは

成功したんだ。

 

そう言われる影の立役者になりたい。

その中で、自分はどんな物語の主人公を

演じたいのか?といった『自身のあり方』を 育てるプロになります。

 

最後はやっぱり人だ。そしてそれを動かす

ためには『教育』が必要不可欠だ。

 

やっぱし戻ってきちゃいましたww

今度は大人相手だけどね。

 

船長のルフィを支えるゾロやサンジとか

ゴンみたいなキルアの心の支えとか

 

集団の中でそういった役回りを担いたい。

そしてそれを全うできるプロになりたい。

 

ここから新しい夢への挑戦が始まる。