晒しな日記

いろいろやっては失敗した。借金もできた。覚悟が足りなかった。家族を守るために本気でやり直し。あり方を変えるために恥を晒します。

滅びの魔法、使命感

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日本の医療制度の限界という記事が

僕の目に飛び込んできた。

 

 

その中で強烈に印象的だった部分を

引用したい。

 

すでに制度の疲弊は進んでいます。これまで頼ってきた「現場の医師の使命感」だけでは、もはや太刀打ちできないのです。

 

僕は元高校教師だ。

現場の使命感に委ねたサービス残業

現実を嫌というほど知っている。

 

当時の休日は年間で

 

晦日、元旦、2日

 

の3日間のみ。

 

体育系のクラブ顧問をしていたこともあり

それが当たり前だと思っていた。

 

さらに私立なので入試が1月末に行われる。

さらに大学入試が本格的に始動する。

 

まさに年末年始はお祭り状態。

業務にひたすら追われていた。

 

頑張るな

 

どれだけの業務をこなしたかによって

ひとりひとりが適切な価値判断のもと

給与が支払われているなら問題はない

のであろう。

 

しかし、基本的に勤続年数に応じて昇給

していく業界はそうもいってられない。

 

僕がいた学校法人もそうだ。

 

そのことについて少し話したい。

 

〇〇部長とか〇〇主任のように

飛び級でもして自分の役職を持たなければ

バリバリ働いても定時まで消化試合を

しても給与はさほど変わらない。

 

そして年輩の教員は若い教員にこう語る

 

「若いうちはしっかりと生徒と関われ」

 

若い教員は放課後の多くを生徒と過ごす

ことに費やす。

それが終われば上から振られた雑務をこなす。

ここからやっと教材研究。

 

これで若い教員が育つことはない。

だがこれが現実として成り立っている。

教員を夢見て飛び込んできた若い世代の

エネルギーを利用して年輩者がそれを

食い物にする。

 

これは教員だけでなくともどこにでもある

日本の社会構造のひとつのモデルだ。

 

そして決まって「頑張れ」と心無い言葉を

投げかける。頑張れば頑張るほど心身ともに

疲弊し、体を壊すもの、心から崩壊するもの

が現れ始める。

 

そういった人たちに対して、僕が聞いた

信じられないようなおぞましき言葉がある。

 

・あいつは甘い

・弱いやつだ

・どうせ甘やかされて育てられた

・これくらいで潰れるようでは…

 

これが教育現場の現実。

おそらくついこぼれた嘘偽りない

彼らの本音だ。

 

そりゃあ闇だのブラックだの言われるよね。

 

教育現場の問題なのは、その重労働や

システムじゃない。

 

何も変わらない、変わるつもりのない

人間たちだ。

 

恐怖感

 

ではなぜ彼らは変わらないのか。

 

僕がいた現場でもそうであったように

今のままではまずいことに気がついている

人は決して少なくない。

 

理由はひとつ。

 

自分を否定することが怖いのだ。

 

今のシステムを否定することは

これまでそのシステム上で機能していた

自分を否定することになる。

 

またこれまでの自分の取り組みや費やして

きた時間を否定することに繋がる。

 

人は自分にとって居心地の良い場所

(コンフォートゾーン)から抜け出すことに

非常に大きなストレスと恐怖を感じる。

 

これは自己防衛本能の一種ともいわれている。

 

なので、変わりたくても変われない人も

中にはたくさんいる。

 

彼らも苦しんでいるのだ。

これまでは年輩者が時代の変化を拒む、

それによって変化が遅れる、それを

僕は痛烈に非難してきた。

 

だが最近少しだけ考え方が穏やかになった。

いがみ合うだけではこれまでもこれからも

何も解決しない。だったら一歩ずつでも

いいので歩み寄る必要があるのではないか、と。

 

結果として現状維持よりは前に進み始める

のではないかって。

 

高齢者がスマホを受け入れたように。

中高年がスキマ時間にYouTubeを楽しむ

ことが当たり前になったように。

年齢問わずSNSで出逢った人を『友達』と

認めることができるようになったように。

 

医療介護は政治ドンブリ

 

教育に限らず、医療介護の領域は政界へ

通ずる道とも言われるほど国とは切っても

切れない関係にある。

 

これまで票集めのための医療介護機関が

とれだけ滅んできたことだろう。

 

しかし残念ながら高齢化に比例して

この流れは止まらない。

 

高齢者の清き一票が必要な人たちがいる。

でも冒頭でも取り上げたように、日本の

医療制度は崩壊寸前の危機に立たされている。

 

高齢化、過疎化をテーマに地元票を獲得

してきた政治家たち。

 

でもそれももう終わりにしなければ

ならないときがきているのだろう。

 

高齢者に罪はない。

 

これは3人の子を持つ父の個人意見だが

申し訳ないが80歳の余生を守るための

莫大な資金をこれから未来あふれる

子どもたちのために活用してほしい。

 

これまで日本を支えてくれた先輩たちには

本当に頭が下がる思いである。

 

しかし、その未来を次の、その次の世代

の子どもたちのために活用させて欲しい。

 

そのためには僕たちミドル世代も含めて

どこかで制度に頼っているいろんなものを

捨てる勇気が必要で、しっかり世に価値を

届け、収入も含めて高齢者を支えていく。

 

本来日本に備わっていた『村・集落』の

時代の助け合いの心をいま一度大切して

いかなければならないのかもしれない。

 

東京ひとり勝ち状態が続く自治体問題も

他人事ではない。特に家族や恋人など

守りたい人がいるならば本当に私事として

真剣に考えてみるべきだ。

 

もしよければこちらも参考にしてみて

もらいたい。子供への教育や自分たちの

置かれている立場など考え方や価値観が

変わるかもしれません。

 

 

楽に生きよう

 

いつの頃からか日本は何かとてつもなく

大きな使命感や義務感によって強制的に

生き方を制限されてきた気がしてならない。

 

遅刻は悪とか子供のために我慢とか

同時に複数の人を愛することは罪だ

とか。(例えばです笑)

 

もっと楽観的に生きてもいいのでは

ないでしょうか。

 

そもそもどうしてダメなのと聞かれて

あなたならどう答えますか。

 

というより答えられますか?

 

答えられないものに良いとか悪いとかを

議論していることがあまりにも多い気が

しています。

 

まるで長年の呪縛に取り憑かれた

天空の城ラピュタのように…